風が吹く時。
風が吹く時、
この風は、ああ、
北極から吹いてくるのかと、思うことがある。
最後の未踏の地、アラスカ。
クマが喋り、オーロラが踊り、
そしてワタリガラスが笑う場所。
神話が今でも息づく場所で空を見上げるとき、
一本の青い風が通り抜けてゆくのを感じる。
その風が、ただ広がる高原を抜け、
ただただ、そのはるか先の山を越えてゆく時、
私は何者なのかと、考えることがある。
”眼下には、ただ意味のない世界が広がっている”
そんな星野道夫の言葉を、今じっと噛みしめる時、
私は一体なんなのだろうと考えることがある。
東京という世界の片隅で、
何か成し遂げることに、何か人に誇れるものを得るために、
私は必死に生きてきたけれど。
薄っぺらの肩書きと、
ずっしりとしたプライドを背負って佇む私の前を、
また風が通り抜けてゆく。
”人生の意味”。
”生まれてきた意味”。 ”私が私である意味”。
意味意味意味。
そんなものを探して、
あくせく生きてきた私の前を、
ただ、また風が通り抜けてゆく。
必死に意味付けて生きてきた世界を追い越して、
風が、そう、吹く時。
意味のない広がりが、
ただ広がっているだけなのだと感じる。
私が地球にいることなんて、
世界の端っこで生きてきたことなんて、
気にすることもなく、気づくことすらなく、
ただあの鳥は、空の彼方へ飛んでいく。
ただあの川は、森の中へと消えていく。
ただあの風は、アラスカの山の向こうに去っていく。
星野道夫がいうように、意味なんてないのかもしれない。
あの鳥が、私の顔をちらりと見たことに、
あの川が、私の前を流れていくことに、
あの風が、私の頰に触れたことに、
意味なんてないのかもしれない。
だったら、私は何者なんだろう。
私は、どうやって生きて生きたいのだろう。
意味のない広がりで、
人間に意味など分かるはずのない世界で、
私はまた、意味をつけようとする。
私のことなんて、
これっぽちも気にかけない世界で、
私はどう生きて生きたいんだろう。
風が吹く時、私はそう考える。
わからないけど。
わがままと、嫉妬と、
ぼこぼこのプライドのかたまりだけど。
でも。
音もなく、北の夜空からオーロラが降る時、
太陽が、雲の向こうから顔を出す時、
一本の風が、そう、吹いてくる時。
りんご片手に、なんとなく笑えるような、
そんな生き方がしたい。
風が吹く時、そう思う。
なーんて青臭いことを考えてる、今日この頃。
底なしの冬が近づく、アラスカにて。