海と石けん。
アラスカの冬の
厳しく
暗い寒さを
足元でひたひたと感じながら
食器を洗う手のひらと
ちゃんちゃんこに隠れた
心があるらしいどこかの底は
なんだか
暖かかった。
「幸せって何」
私が一生かけて探し続けたい
そんな問いを
不意に
お世話になってる友人のお母さんに
台所でなげたくなった。
お母さんは
ちょっとびっくりしたように
洗いかけのお鍋をおく。
「クリスチャンの目線から言うとね、
神様の御心に従って生きること、
神様が私に望むことを見つけて生きてゆくことが
”幸せ” だと思うわ」
ブルーの星が散った瞳が
神様を思う優しさで
優しく、ほんのりと
染まった。
「でもね」
お母さんは、
ふと
私をじっと見た。
「自分の喜びだけを追求することが幸せだと言う人もいると思うの。
好きなものを食べて、
自分の好きなことだけをしてって。
でも結局それってね、やりすぎちゃうのよ」
そしてお母さんは、
ゆっくり
お湯に手を浸す。
「一番大切なことはね、与える者であることよ。」
お母さんの巻き毛が
ゆらりと揺れて
その大きな瞳が
じんわり涙に染まっていた。
「ホロコーストの生存者の方の本の中にね、こんな節があるのよ。
”多くの者は、あの地獄から還ってこなかった。
なぜか。
それはその多くの者が、与えるものであったからだ。
自らが飢えてもなお、最後のパンの一欠片を、
他人に与える者であったからだ ”
人はね、
どんな辛く、信じられないような地獄にいても、
人に与えることで神様の愛を感じることができるの。
そこから幸せの温もりを感じることができるのよ。」
大切なのは、
与える者であること。
アラスカの厳しい寒さと
夜のとばりがひっそり降りた
森の中の台所で。
もし
本当に神様というものがいるのなら
私の
なんだか荒んで
ひねくれた心を
諭そうとしてくれたのかもしれない。
ポロリと
なんだか熱いものが
頰を伝った時、
不意にそんな気がした。
自分の口から出た、
醜く
酷い言葉たち。
みんな後悔を優しく抱いて
北の海を去っていく。
海の波の
ひとしずくさえ凍るアラスカの冬。
石けんの優しい泡が
ほんのり揺れていた。
そんな一日。