一本の川。
今まで生きてきた20年間
見たことも
会ったこともない人々と
踊り
笑い
そして手を繋いで迎えた
新しい年。
つくづく
自分が歩いてきた道の展開に
不思議な縁を感じるばかり。
アラスカという
世界の果ての澄んだ夜空に
花火が咲いては散って行くのを見た時
人の小ささを知りました。
アラスカという
大地の片隅で
花火を無心に見つめ
抱き合う人々を見た時
その命の儚さを知りました。
そしてアラスカという
厳しい大自然の中で
そして生きてゆく人々を見て
その温かさを知りました。
きっと今日見た
北の空の花火の色を
5年後の私は忘れるでしょう。
きっと今日踊った
あのダンスのメロディを
15年後の私は忘れるでしょう。
きっと今日吹いた
あの冷たく凛々しい
北風の心地よさを
30年後の私は忘れるでしょう。
きっと今日食べた
あのかぼちゃパイの甘さを
50年後の私は忘れるでしょう。
きっと今日出逢った
あの無数の美しい笑顔を
70年後の私は忘れるでしょう。
でも
今日感じた
人という存在に宿る
温かいぬくもりは
死ぬまで忘れない。
何かを成し遂げよう
人より一歩でも先に進んでいよう。
あの子よりも
そうあの子よりも
もっと偉大な人生を送ろう。
そんなことを
ずっと考えていた2018年でした。
大学で
数え切れないほどの
信じられない人々に出逢い
彼らの中で
自分は何なのか
ちっぽけさに悩んだ2018年でした。
そして
アラスカという
最後の未踏の地で
その私の思考や
肩書きや
足音の
はるか遠くを駆け抜ける
自然と命の大きさに
自分の人生の短さを
人間という存在のちっぽけさを
教えられた2018年でした。
自分が語り
意味づけようとしてきた
政治の行方
恋の行方
日本の行方
人生の行方。
そんなもの
これっぽちも気にせずに
ただ流れてゆく
ただ森の中に静かに消えてゆく
一本の川の美しさに
全てを忘れた2018年でした。
彼が何をしようと
彼女が何を考えようと。
どこでテロが起きようと
どこであの子が生まれようと
どこであの子が死のうと。
ただ風は
その広がりの先へ
通り抜くてゆくことを
知った2018年でした。
何かを成し遂げるようとすること。
人からの愛を求めること。
自分の明日に恋をしようとすること。
それは
私が人間なのだという証であるのだと
その
川の静けさに
森の深さに
山々の大きさに
オーロラの儚さに
教えられた2018年でした。
アラスカという地で
多くの生き方
多くの川の流れに出逢い
あるがままに生きること
その意味の大きさを学んだ2018年でした。
このあるがままが
どんな意味かは
まだわかりません。
2019年
どんな年にしたいかは
まだわかりません。
そもそも
一言でバシッと表すの、
上手くないから。
だからまだわからないけれど。
でも
あの
意味のない広がりの森の中に
音もなく消えていった
あの一本の川の流れを見て
どうしようもなく
胸が熱くなるような
そんな年にしたい。
そんな意味のわからないことを
世界の果ての
教会で
手を繋いで
アラスカの人々とカウントダウンしながら
思いました。
全てのご縁と
全てのご恩にありったけの感謝。
2018年にありがとう。
2019年に初めまして!